あらすじ(ネタバレなし)
岡崎琢磨によるシリーズ第1作(「このミステリーがすごい!」大賞・隠し玉作品)。京都の小路の一角にある珈琲店「タレーラン」を舞台に、バリスタ・切間美星が、客の何気ない言葉や行動から隠された事情を見抜いていく、日常の謎解きミステリーです。語り手はコーヒー好きの青年アオヤマ。シリーズ累計120万部を超える人気作の出発点です。
聴いた感想
『珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』を読んで、喫茶店とは不思議な場所だと思った。
店員と客は、まったくの他人ではない。しかし、友人や家族ほど深く関わるわけでもない。いつもの注文を覚えてもらえればうれしいが、私生活にまで踏み込まれると少し困る。喫茶店の心地よさは、親しさそのものではなく、親しくなりすぎないことによって生まれているのかもしれない。
この作品では、バリスタの切間美星が、何げない言葉や行動から、人々の隠している事情を見抜いていく。その推理は鮮やかで、読んでいて気持ちがよい。一方で私は、もし自分が客だったら、美星に珈琲を淹れてもらいたいだろうかとも考えた。
目の前にいる人が、自分でも整理できていない感情まで見抜いてしまう。そんな店は頼もしいが、少し怖くもある。私たちが喫茶店に求めているのは、必ずしも理解してもらうことではない。ただ静かに座り、説明できない気分のまま一杯の珈琲を飲むことを許してもらいたい日もある。
その意味で、美星の謎解きは珈琲とは正反対の働きをしている。推理は、曖昧な出来事に答えを与える。一方、珈琲を飲む時間は、答えの出ない気持ちを、答えの出ないまま受け入れてくれる。タレーランという店には、その二つが同時に存在している。
アオヤマが求めていた「理想の珈琲」も、単に味のよい一杯ではなかったのだろう。珈琲の味には、豆や淹れ方だけでなく、誰に淹れてもらったか、どんな気持ちで店を訪れたかまで混ざっている。だから同じ人が同じ方法で淹れても、完全に同じ一杯にはならない。
題名の「また会えたなら」という言葉にも、そのことが表れているように思う。「また飲めたなら」ではなく、「また会えたなら」なのだ。求めているのは珈琲という商品ではなく、その人と同じ場所で、もう一度同じ時間を過ごせることなのだろう。
しかし、人と再び会うことは、以前と同じ関係に戻ることではない。相手の過去や秘密を知れば、それまでの印象は変わる。それでも、知らなかった頃の相手を偽物だったと切り捨てず、知ったあとにもう一度向き合えるか。この作品の本当の謎は、事件の真相よりも、他人をどこまで知れば信じられるのかという問いにあるように感じた。
美星は人の事情を見抜くことができる。けれど、人を理解することと、その人を受け入れることは同じではない。そしてアオヤマに必要だったのも、すべてを理解することではなく、理解できない部分を残したまま、美星の淹れた珈琲をもう一度飲むことだったのではないか。
この作品を読んで、よい喫茶店とは、自分を完全に理解してくれる場所ではなく、完全には理解されないままでも居てよい場所なのだと思った。謎を解く物語でありながら、最後に残るのは、すべての人間を解き明かすことなどできないという感覚だった。その分からなさごと相手と向き合う時間が、この物語における一杯の珈琲なのだと思う。
こんな人におすすめ
- 日常系・コージーミステリーが好きな人
- 喫茶店やコーヒーが好きな人
- 「謎解き」より「人間関係の距離感」を考えたい人

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