あらすじ(ネタバレなし)
朝井リョウによる、2026年本屋大賞受賞作。「推し活」やファンダムの熱狂を、現代における巨大な「教会(メガチャーチ)」になぞらえた物語です。ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、そしてかつてのめり込んでいた側という3つの視点から物語が進み、人が何かを信じ、そこに時間と感情とお金を投じることでようやく日々を生きられるようになる、その切実さと危うさを描いています。
聴いた感想
『イン・ザ・メガチャーチ』を読んで最も怖かったのは、人が簡単にだまされることではない。むしろ、人はある瞬間から、自分で考えなくて済むように、進んでだまされたくなるのではないかと思わされたことだ。
作中では、アイドルを応援する人、ファンの熱狂を設計する人、仲間とともに一つの解釈を信じる人が描かれる。表面的には、推し活や陰謀論、宗教に似た集団心理を扱った物語に見える。しかし私には、これは「信じること」よりも「判断を手放すこと」を描いた小説に思えた。
現実の生活では、何を選んでも正解が分からない。どの仕事をするか、誰と付き合うか、どこにお金を使うか。努力しても報われるとは限らず、失敗すれば自分の判断が悪かったことになる。一方、強い物語の中に入れば、次に何をすればよいかが明確になる。CDを買う。数字を伸ばす。仲間の投稿に反応する。敵と見なされた相手を批判する。そこには達成すべき目標と、自分の行動を評価してくれる仲間がいる。
つまり彼らが買っているのは、アイドルの商品だけではない。「今日は何をすればよいのか」という答えそのものなのだ。
その意味で、作中のファンダムは巨大な教会というより、人生を半自動で進めてくれるシステムに近い。参加者は自由を奪われているように見えるが、同時に、自由に伴う重さから解放されてもいる。何も決まっていない人生より、誰かが用意した物語の登場人物になるほうが、苦しくない場合もある。
だから私は、登場人物たちを単純に「愚かだ」とは思えなかった。自分は推し活や陰謀論にはまっていないから大丈夫だ、とも言い切れない。仕事、資格、健康、お金、自己成長。私たちは一見まじめな目標にも物語を与え、「これを達成すれば人生は前に進む」と信じている。それ自体が悪いわけではない。物語がなければ、長い人生を歩き続けることは難しい。
本当に危険なのは、物語を信じることではなく、それが自分の人生を支えるための道具だったはずなのに、いつの間にか自分の人生のほうが物語を維持するための道具になってしまうことだろう。
『イン・ザ・メガチャーチ』は、熱狂から目を覚ませと訴える作品ではない。正気に戻った先の人生も、決して明るく分かりやすいものではないからだ。それでも、自分はいま何を望んでいるのか、それとも誰かに望まされたものを追いかけているのか。その境界を、ときどき確かめる必要はある。
この本を閉じたあと、私は「何を信じているか」よりも、「最近、自分で決めなくなったことは何か」を考えた。そこにこそ、私自身がすでに入っている小さなメガチャーチの入口があるような気がした。
こんな人におすすめ
- 推し活・ファンダム文化を一歩引いて見つめ直したい人
- 朝井リョウ作品が好きな人
- 「なぜ人は信じたくなるのか」を考えたい人
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